コミュニケーション手段を習得するということ

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新型コロナウイルスが私たちの日常を大きく変えてから、すでに5ヶ月が経過しました。いまだに決定的な治療法はなく、早くて来年の前半に完成すると言われるワクチンに期待を寄せている現状です。
私たちの生活は決定的に変わってしまったのですが、そう器用にすべてを受け入れられるほど、大人は柔軟ではありません。
しかし、子供達は柔軟です。大人の姿を手本に、自分たちはどう振る舞うべきかを学ぼうとします。

私たちは、うれしい時、怒った時、何か伝えようとした時など、様々なコミュニケーション手段の中から、自分が適切だと考える方法を用います。
うれしい時は「笑顔でありがとうと言う」とか、怒った時は「不満そうな顔にして嫌だと言う」といった、「共通で認識できるシグナル」を出すことで、自分の感情を伝えようとします。
その方法は、生まれた瞬間から周囲にいる人を真似し、繰り返し見て聞いて覚えてきたものです。上記のようなコミュニケーション手段を「当たり前」として習得したからこそ、共通の「言語」として機能します。そしてどうやらそれは、人類共通のものでもあり、「笑顔」「不満そうな顔」という「言語」は、言葉が通じなくても伝わります。

ところが、です。極端な例ではありますが、もしうれしい時「怒鳴りつける」、ちょっと声をかけるときに「引っぱたく」などの間違ったコミュニケーションを取り続けたら、どうなるでしょうか。
子供はこれらの方法を「コミュニケーション手段」として「習得」します。そして、それを日常生活で実際に使ったとしたら……果たしてコミュニケーションは成立するのでしょうか?

大げさな例を挙げましたが、これに近いことになっている人は、それほど珍しくはありません。大人が悪ふざけ程度に行なっていることでも、子供は大いに参考にし、そして望まない結果となる場合があります。
大人として、子供の前での振る舞いには気を付けなくてはならないでしょう。