もう一度、ゆっくりゆっくり

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先日テレビのニュースで「叱らない親」について特集を組んでいました。
「親が叱らないので子どもがお店の中を自由に歩き回り他の客に迷惑をかけるため、子どもの入店を拒否するようになった」「子どもに丁寧に言ってきかせれば子どもにも理解できる」といった内容でした。
ある保育園ではしつけの先生を呼んで、保育園が厳しくしつけているとして、その指導の様子を流していました。

一つ一つの場面を取り上げれば、なるほどそういうこともあるか、とも思えます。しかし番組内では「親が叱らない→叱らないから子どもがろくな事をしない→言って聞かせている親もいる→親ができないから保育園などでやっている」という印象を与え、叱らない親がすべての原因のような流れになっており、ちょっとそれはひどいな、と考えました。

確かに叱「れ」ない親はいるでしょう。一方できちんと子どもに伝えようとしている親はいます。子どもの中にも「言われたら二度としない子」と「何度でもやろうとする子」がおり、なぜそうなるかはその子その子で事情があります。
その辺りの事情を考えず、「叱らない親」という存在を悪いものとして広く知らせようとするのは報道機関がすることとしてはずさんな話だと考えざるを得ません。

「親が叱らない子ども」がなぜ外で自由に振る舞うのか、という視点も考えておかなくてはなりません。ひとつの可能性として、家庭内では強く叱りつける親が外では他人の目を気にして叱らず、家で押さえつけられている分の発散として子どもが外で非常識な行動を取る、というものがあります。
この場合はむしろ「叱りすぎ」を気にしなくてはならないはずですが、逆に「もっと叱りつけなければ」という結論に至りかねません。
一方的な決めつけが、さらに状況を悪化させることもあります。

指しゃぶりをするお子さんに対して「親の愛情不足」と言い切った医師の話を耳にしました。なぜその子が指しゃぶりをするのか、その理由は様々です。それを紋切り型に一方的に決めつけることは、その子の本当の姿をとらえることから大きく離れてしまう行為と考えられます。

以前「指しゃぶりがやめられなかった子ども」だった方のお話をうかがいました。なぜ指しゃぶりしていたのかと言えば「なんだかとってもおいしかった」のだそうです。
どうしても指しゃぶりをやめさせたかった母親は、ある日リビングに謎の機械を持ち込み「あんたが指しゃぶりをしたらこの機械から雷が出て痛くするからね」と伝えたそうです。
震え上がったその方は、その日から指しゃぶりをしないように一生懸命我慢しました。
中学生になった頃、いつまでも謎の機械があることに恐怖を感じていたその方は「もう私は指しゃぶりしていないから、その機械を捨ててほしい」と母親に伝えたそうです。すると母親は「あんたはまだそんなこと信じてたの?」と大笑いしたそうです。
その方はその日のうちに祖母の家に家出し、それから母親とは一度もあったことはない、とのことでした。

外で騒ぐこと、指しゃぶりなどだけではく、いけないもの・みっともないものという認識があるものには、大人は簡単に理由をつけ、急いで処理したいと考える傾向があります。
しかしそこには子ども毎に理由があり、大人はその理由をゆっくりと観察して、子どもの育ちを守っていく努力が求められます。

子どもはゆっくりゆっくり成長しています。私達大人もゆっくりゆっくり、子どもを見守りたいものです。