泣く=生存の危機

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 新しい年度となって、あっという間に1ヶ月がたちました。
 最初の頃は大きな泣き声が聞こえてきましたが、それもだんだんと小さくなっています。泣き声が小さくなるということは不安を感じている子が少なくなっている証拠ですので、あらためて子ども達の順応性の高さに驚かされます。

 慣れない環境の中、不安と緊張でどうなるのか心配、というのは大人よりも子どものほうが一層強く感じます。まだ言葉がうまく出ない乳児はもちろん、流ちょうにお話ができているような幼児であっても、それは同じです。むしろ自分の不安を訴える方法が泣くことしかないのですから、大人に比べてずいぶん不便なものでしょう。不便以上に「泣く=生存の危機を感じている」と訴えているわけで、必死さが違います。「泣かないの!」なんて言ったところであまり意味がありません。なにしろ危機ですから。

 とは言え大人も指をくわえてみているだけではありません。不安をぬぐいさろうと色々手を尽くすのですが、なかなか泣き止みません。子どもは9才ごろから大人と同じ理屈で考え始めると言われます。裏返せば、9才前の子どもは大人と違う理屈で考えていると言えます。大人が大人の理屈で何度も言い聞かせても、子どもは自分の理屈に合わなければ不安を持ち続けます。大人はここを理解して、彼らに寄り添う必要があるでしょう。

 寄り添う、と言いましたが行なうことは単純です。泣いている子を抱っこしてあげる、気持ちを代弁する声掛けをする、少しでも興味を持ったものをすぐ渡してあげるなど、子どもが今感じている不安を代弁してあげる、さらに不安がなくなりつつあるときに現れてくる好奇心を安心するきっかけにする、といったものです。これによって不安は解決できるものではありませんが、その子の受けとめ方を変えることはできます。「不安じゃなくなったわけではないけど、今はこのおもちゃに興味があるぞ」といったように。

 「子ども叱るな来た道だもの」という格言があります。すっかり忘れてますが、我々大人もかつては随分泣いて不安を訴えていた子どもだったのですから、今度はその不安を受けとめてあげたいですね。